かっこよくあれ!

自分がかっこいい・好きと思う自分であれ。というのを持っている。
例えば、推しのためにおしゃれする自分が好きとか、リアルを捨てて廃課金しちゃう自分が好きとか、そんなん。

だけどどうにも、回答をまだ自分の中で見つけられないものがある。
考えてみたら矛盾しとるなってこと。
私の推し(だった人)は活動休止したわけだが、それでも未だに推し事カテゴリやらオタク哲学やらを好んでみているのは、私の代わりにすっきりさっぱりその感情や考えを説明したり解決してくれる人がいるかもしれない…とおもってるのかもしれん。

私は傷つくかもしれない誰かに配慮して自分の意見を呑み込むより、自分の意見を書いて別の誰かを救う可能性に賭けます。そして、悪い意味ではなく、私の書いた文章を楽しんで読んでくれる人がいることを信じます。

感想・意見・批評をすることをやめたくない - 生きることは好きを形にすること

この人がこのように書いているが、まさにそういうこと。

オタク界隈は何処も同じだなって思ってる。
けどうちの界隈に対して、その他所のものすごくまとまっている意見を持ってきても"うちの界隈"には通じないんだよね
他所の世界の話でしょってなってる気がする。害悪オタクなんか何処も共通なのにさ
だから"うちの界隈"に対してうちにいる自分が発せられたら良いのにって思ってるし思ってたけど、ね。
そもそも自分ごととして処理できる人間なら他所のまとまってる意見にだって目を通してくれるし、いやいやそれ以前にまずおそらく自分の中でまとまっていなくても似たような意見は持つことになっているはずだ。

他人に関しては諦めなのだろうと思う
「私と推し」という本当にそれだけの純度100%が何より正しい(そしてそれをカッコイイと思っている)
私は未だにその正しさかっこよさに到達していないから、同じオタクどもに対して苛立ち、その解決をオタクに求めている