ずっと好きでいなければならないっていう、継続の義務はない
今まで好きだったから未来も好きであるべきだという義務はない
新譜買うときって、結構曖昧なときなんだよね。
そこまで曲が公開されてなくて、でも今まで好きだった人だからって理由で買うの。
要するに期待値で買うのだね
今までここに載せているMVたちはすでに公開されていて、発売がとっくにされているものだったりする。
マイナーほどこういった大々的な公開がなされない。一部だったりする。
それでも私は、期待値でそれにお金を出す。
でね
お金を出したから「好きでありたい」となってしまってるのかなと思う。
今まで好きだったからといって新譜がまたバッチリ好み!!!ってわけはなくて、だけどお金を出したし
単純に買ったCDが今回はさほど好みでなかったって話なんだけどさ。
でも私はこれ以外に関しても同じように、また、好きでありたいって気持ちになるんだろうなぁって微妙になったの。
好きだ!!じゃなくて、好きでありたい。
なるべく好ましいところを"探す"っていうことをしてしまう。
それが悪いことだとは思わないよ。
なるべく好きが沢山ある方が良いし、そのほうが平和だし、楽しいし、楽だし。
けど好きだ!!ではなく好きでありたいという願望・期待は良くないと知ってしまってるんだよなぁ。
今回私にはまらなかっただけだからこの音は置いとけばいいし、がっかりしたりする必要もない。
期待はずれというのとは少し違うからね。
あくまでもそれと私との関係は、今回はご縁がなかったというだけの話。
問題は私の中にある好きでありたいという願望なのよねぇ
点が線になるのが理想なんだよな。
続き
好きだったものから少し離れていると、そろそろ見たほうが・聞いたほうがいいかな?ってなる。
これも同じく「好きでありたい」現象。
自然と手が伸びないということは今は必要としていないってことなんだけど、積極的に摂取したほうが良いのでは??って不安になるの。
それを摂取しないまま忘れてしまうことを恐れている。
忘れたくない。まだ好きでいたい。そう思っている。
別に手放すことは悪いことじゃないよ、それは縁だよタイミングだよって自分では思っているし他人にも言うのに。
私は自分に課した感情、「好きでありたい」に疲れている。
今まで好きだったからといってこれからも好きである必要はないし、
好きだからといって"全て"好きである必要もないのだ。