応援と好き

応援

応援するならリアルタイムに課金しないといけない
後は意味がない。全くちっとも意味がない
(モーツァルト応援してますって人はいないと思う)

応援=要求
応援=今から未来へ繋げるもの、続きを期待するもの=要求
このCDを買うから次を期待しますよという要求
このCDをあなたの未来の為に買っていますよっていう押し付け
それが応援
1曲のために5k出すことが応援だと思っている
応援=押し付けである
応援なんてきれいな言葉で言ってるだけで

好き

けど好きであるならば、過去も未来も関係ない
そして私はこれでありたい
ただの好きならば、2020年にそれを好きであることは2020年に必要なことであり、1999年に必要なことではなかった。
そこには未来も過去も関係なく、その課金は自分のためであり推しのためではない。
私の好きの形をつくるための課金だ


私の好きなものが続けばいい、というのはあるかも知れない。
けれどそれはあくまでも「私の好み通りに続けばいい」なんだよね。
私に操作された道のとおりに進むことを許可する、と。

でも違う
私が好ましく思ったのは、
その人が考え
こうやって伝えたいなと思い
そして行動に移したものだ。

私の好みと外れてしまうのは残念だけど、でもその道を選んだあなたを好ましく思うんだ。
「もう行き先を見ることは無いけど元気でな!!」と言えるようでありたい。
私がいなくても、新しいファンがあなたを好きでいる。