何が好きなのか、考えないといけないよね
正直なところ、人格まで丸ごと好きになれたらそれはもう恋愛つーか、そっちだと思うんだよね
なので推しとは違うというか
けどそうじゃなくてただのファンだと、推しだというのなら、何が好きなのって考えたほうがいいと思う。
私はもう、私にとって大事なのは音であるというのが分かっている
その人を取り巻く環境が面白ければ勿論それに越したことはないけど、その人も環境も私の思っていたのと違うからといってそこは私の好きとは別なので見なかったことにする
音が正しく出力されるのなら問題ない
んでその音の出力は毎日行われるものではないってのは私の期待からも合っていて問題もない
私から、ちょっと見かけただけの他人様に声をかけることは絶対にないんだけど、勝手に期待して勝手に失望して勝手に病んでいる人を見ると、考えたらいいのになって思ってしまう。
馬鹿だなこいつって意味じゃなくて、自分の好きの輪郭をもう一度かたどって抽出したほうが楽になれるよって。
だって"その人"が好きなわけであって"その人のファン"が好きなわけじゃないでしょ
その人の"音楽"が好きで、その人の問題"行動"が好きなわけじゃないでしょ
なら、音が出力された時だけ聞きに行く見に行くってしたほうが楽だと思うなぁ
そんなことを、絶対に声をかけないけれどネットに漂う他人様を見ていて思うんだよ
嫌いになっていくときってさ、分かるんだよね
何か嫌だなってことがあると、同じ意見の人を見かけて同調したりしてさ、そうするとどんどん、好き探しがダメ探しになっていくの
好きになった時と同じことを嫌いになるために行い始めてる
でもそれって、結構周りに左右されてるんだよね。
自分は少しも気付いてなかったことをアンチ的意見の人が問題視してて、初めて気づいてさ
本当に表で問題が起こらない限りは、わざわざ掘り起こすことは無いのに
本当に目に見えて形になっていて明らかになっていないのならば、それは自分や他人の中で勝手に出来上がった物語じゃん
勝手に予想して物語を組み立てて当てはめて期待して、それが合っているとか違うとか騒ぐ。良い方にも悪い方にもだよ
オタクってそんなもんだけど、それでもう推しを嫌いになりつつあると分かっているのなら一度シャットダウンしたらいいのに
嫌いを見たままだと嫌いにしかならないけど、嫌いへの道を一度断ち切ったら今のところは辿り着かずに済むよ
絶対に声をかけないけれど、そんなに苦しむのなら違うものを見ていなよって
まだ好きが残っているうちに離れるべきだよって
でないと好きが嫌いになってしまう
そんなものを好きだった自分までも嫌いになってしまう
それはよくないと思うんだ
絶対に声はかけないけど、私が通った道だから、他人の私に対して思うよ